流れ着いて〜その1〜
学生時代から20代半ばまではゲームとギター、音楽にお金を使った。
18で就職してから30手前まではバイク。
後は自転車、そしてカメラ。
バイクはやめた。
ゲームのしすぎ、座りすぎで腰と膝を壊した。
ギターは売れない。
ほかの工業製品と違って一本として同じ個体が無いからだ。
それでも今はほとんど触っていないし宝の持ち腐れだ。
売ってしまったら後悔するだろうか。
エフェクターやアンプなら売ってしまいそうだ。
もうバンド活動は無いのかも知れないし。
カメラ。
28の時に初めてのデジタル一眼レフを買った。
NIKON D7100ズームキット。
しかし少し触って飽きてしまった。
何か満たされない感じだった。
当時の写真を今見返しても画質に関して言えば一番自分に合っている気がする。
D7100は数ヶ月で売ってしまった。
時代はフルサイズだと。
ここからが俺の沼の始まりである。
数年にわたってカメラとレンズを買ったり売ったりを繰り返す。
D7100を売ったお金でSONY α99と24-70を買った。
これは痺れた。
操作性やカメラとしての完成度はNIKONとはかなりの差があったし、バッテリーは三本持っていても足りないくらいだったがデジタルガジェットとしては申し分のない相棒であった。
カメラを持ってたくさん出掛けた。
何度も京都へ行った。
眼に映る全てを撮ろうと思った。
決定的瞬間を、自分にしか撮れない写真を。
135mmを買った。
85mmを買った。
俺は「完璧だ、いつでもなんでも撮れる」と確信した。
撮って、編集して、flickrに投稿した。
よく85mmだけを持って撮りに行った。
85mmならファインダーを覗かなくても画角が分かった。
動画も素晴らしく綺麗に撮れた。
一年ほど経った時、シャッターを切ると異音がしてそのまま動かなくなった。
修理に出し戻って来て数ヶ月後、今度は絞りが壊れまた修理に出した。
その数ヶ月後、仙台に出張していた時だった。イルミネーションを撮っていたらまたシャッターユニットが壊れた。
ウンザリだ。
α99は修理に出し、戻ってきたところで売った。
CANONに鞍替えしたのがまずかった。
ボディと共に35mm、50mm、魚眼、70-200を買った。その次にマクロプラナー100mm、チルトシフトレンズも買った。
レンズが、無限にあった。
写真は下品になるばかり。
しかし自分は「なんでも撮れる!いつでも撮れる!何処でも撮れる!雨でも撮れる!」と毎回巨大なリュックに全てのレンズを詰めて、大きな三脚を持って出掛けた。
楽しかった。
いい写真は撮れなかった。
何を撮っても個性のないCANONで撮った写真だった。
レンズが全て揃ったと思った時、虚しくなった。
ボディを残してレンズを全て売った。
そして35mm、10-18mm、60mmマクロを買った。
「レンズを集めるのはやめよう。」
もう、何も足さないつもりだった。
しかしその二ヶ月後には180mmマクロ、100-400mmを手に入れていた。
もう手の施しようのないアホである。
安いからと85mmを買った。
一生モノだからと11-24mmまで揃えていた。
また、同じことを繰り返した。
「経験したい」という願望を叶えるため。
ここまで来てもまだレンズが必要だと思えた。
色んなジャンルの写真に挑戦した。
どれもこれも板に付かなかった。
何もかも半端。
写真は下品。
それでも自分は間違っていないと思っていた。
いや、そう思い込まなければ投資した金が無駄になるとうっすら感じていた。
フィルムスキャナと自家現像
一般的なお店で現像に出すと一回600円から700円かかる。L版同時プリントもするとプラス1,000円だ。
ランニングコストには目を瞑る訳にもいかず辿り着くのは自家現像とフィルムスキャン。
モノクロに限るってしまうが自家現像の敷居は思ったほど高くなく、ダークバックさえ用意すれば暗室は要らない。
調べるまで知らなかったが印画紙にプリントしない限り暗室は必要じゃないんだな。
自家現像一式揃えるのに2万円程度、一度揃えれば適宜薬品を買い足せばほぼ無限に現像できる。
初期投資の2万円をお店現像代で割ると大体30回ほど現像できる計算だ。
しかも楽しい。
自宅にあるショボいプリンターで印刷すると一枚あたり数十円のコストだが……とここまで書いたところでこんな事はどうだっていいんだと思う。
俺はフィルムカメラで自分でピントを合わせマニュアル露出で撮影することが好きだ。
しかもそこから自分で現像し、自分で紙に焼く、またはスキャンしてプリントする。
なんて楽しそうなんだ。
物が欲しい、と言うよりは何もかもを自分で体験してみたい。
experience.
体験したい。
あのレンズを体験してみたい。
趣味とは
金がかかる。
側から見れば無駄に金がかかる。
実用的な趣味。そう言う言葉を使った時にそれは純粋な趣味とは呼べなくなる。
今だってレンズが欲しい。
Weblog
ツイッターを始めてからと言うものこういった長文を書く機会が減ったなと思いました。
また、ツイッターでは趣味の込み入った話がしにくいようなタイムラインに仕立て上げてしまった為に言いたいことを言いまくる場所も必要かなと。
タンブラーで流れてきた面白いツイートを読んだ時にそのツイートを書いたユーザーをフォローする事がよくあるんだけど、大抵そう言ったユーザーのツイッターは全然面白くない。
簡単に言うと一発屋だからかな。
タンブラーで流れてきた面白いブログ記事の断片を追いそのブログへ行くと事もままあって、その場合は面白さに一定の品質がありインターネットは楽しいなと思う。
自分ができない、やろうとしない事をなんの苦もなくやってのける人がたくさんいる。
自分自身も他人から見たらそんな一面を持ち合わせているのかも知れない。そう思った時に、何をすべきかと言うと記録に残して誰かに見せると言う事が一つのアウトプットだなと。